« 孔子 論語 學而 4 | メイン | 夕飯はマック »

2008年05月08日

●第一次大谷探検隊 朝日新聞 累々たる白骨

第一次大谷探検隊 朝日新聞 累々たる白骨


さて私たちがカシュガルに着いたのは、明治35年9月21日であったが、ちょっとここで、オシュとカシュガルとの間で見聞きしたことをお話しすると、

この地方は薪がいたって乏しいところであって、したがって人民は主に牛糞・馬糞を乾かしておいて、薪の代りに焚くのである。

食物はふつう羊の肉ばかりである。

また右に述べたテレク・ダウンの峻嶺では気候が非常に寒いので、通行の人畜が多く死ぬ。

そして雪中にはあまり人通りもないので、行き倒れになったままいる。

山中の通路はいたるところ白骨累々と横たわり、昔玄奘三蔵が白骨を道標にして行ったという話も思い出されて、一見悽愴の感に堪えなかった。


↓人気ブログランキングに参加しています。
人気blogランキングへ

↓ついでに当店、中国・西安遣唐の夢もご覧下さい
遣唐の夢

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://nobuhiroogawa.chu.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/214

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)