●第一次大谷探検隊 朝日新聞 累々たる白骨
第一次大谷探検隊 朝日新聞 累々たる白骨
さて私たちがカシュガルに着いたのは、明治35年9月21日であったが、ちょっとここで、オシュとカシュガルとの間で見聞きしたことをお話しすると、
この地方は薪がいたって乏しいところであって、したがって人民は主に牛糞・馬糞を乾かしておいて、薪の代りに焚くのである。
食物はふつう羊の肉ばかりである。
また右に述べたテレク・ダウンの峻嶺では気候が非常に寒いので、通行の人畜が多く死ぬ。
そして雪中にはあまり人通りもないので、行き倒れになったままいる。
山中の通路はいたるところ白骨累々と横たわり、昔玄奘三蔵が白骨を道標にして行ったという話も思い出されて、一見悽愴の感に堪えなかった。
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