2008年06月20日

●第一次大谷探検隊 朝日新聞 土人の礼式

第一次大谷探検隊 朝日新聞 土人の礼式


このあたりの土人は礼儀を守ることは非常に正しいもので、もし途中で出会うと双方ともに手を出して、かたく四つの拳を挟むようにして合わせ、(イタチゴッコを縦にしたように)そうした後で、いずれも自分のひげを両手で扱くように胸までなでおろすのであって、これが彼らの礼儀である。

またひげのないものはどうするかというと、すべてマホメットでは教義上頭は丸坊主で、ひげはけっして剃ることはできないのである。

だから誰でもひげのないものはないが、まれにひげのない者があっても、やはりあると同じようになでる真似をやるのである。

以上は一通りの礼儀であるが、はなはだしく親密なものになると、相撲をとる時四つに渡り合うように、たがいに腰を抱きしめ、そしていま述べたように手を合わして握手の礼をするのである。

そして別れる時には、主人は門まで送ってえしゃくするのである。


↓人気ブログランキングに参加しています。
人気blogランキングへ

↓ついでに当店、中国・西安遣唐の夢もご覧下さい
遣唐の夢

2008年06月09日

●第一次大谷探検隊 朝日新聞 日本に似ている村落

第一次大谷探検隊 朝日新聞 日本に似ている村落


土人の着物は上衣をチャパンといい、長筒袖で日本と同じように、右の衿を下にしてちゃんと前を合わし、その上に帯を締めている。

袴はなく着流しで、こういう風俗は、日本でも村落などでよく見るところである。

衣はむろん木綿で、おもにロシヤから来るのである。

それから冬は毛でこしらえた堅い薄い帽子をかぶり、儀式の時は頭にターバンといって白木綿を巻くのであって、これはマホメット教の儀式である。

履物は長靴であるが、ちょうど日本の足袋のようで、踵がない。その上にスリッパのような踵のある上靴をはいて歩き、家の中にはいると、日本人と同じようにちゃんと膝をそろえて正座するのである。

前の着物の着方といい、この正座のありさまといい、どことなく日本人と似ているので、もしその道の人が調べればおもしろい関係を見出すかも知れぬ。

それから婦人は顔のところに布片を垂れて面部をおおうのである。


↓人気ブログランキングに参加しています。
人気blogランキングへ

↓ついでに当店、中国・西安遣唐の夢もご覧下さい
遣唐の夢

2008年06月05日

●第一次大谷探検隊 朝日新聞 泥で造った家

第一次大谷探検隊 朝日新聞 泥で造った家


この旅行に一〇日間かかってふたたびヤルカンドに引き返し、種々の調査のために二週間この地に滞在していたので、はからずも土人の風俗その他を観察する機会を得た。私たちの泊まっていた家は、イズバシの家で、イズバシというのは百人長の意味である。

だいたいこのあたりの土人の家は泥をこねて積みあげたもので、屋根は小さい木を幾つも渡してその上に泥を塗ったもので、不思議なことには周囲に窓というものは一つもない。
ただ入口の屋根のところに、明かりとりの天窓が一つあるばかりである。

そして屋根も四方の壁も、すべて泥でできているのであるから、もし大雨でも降ったらタヌキの船と同じことで、すぐに溶けて流れてしまうかと思われるが、すべて中央アジア地方には、雨というものはほとんど降らないのである。

であるから泥の屋根でも少しも差しつかえない。この泥屋根は平常物干場となり、また土人が日なたぼっこをしているのである。

またこの家の内部は、土床の上にアンペラを敷き、その上に羊の毛でこしらえた毛氈を敷いて座っているのである。


↓人気ブログランキングに参加しています。
人気blogランキングへ

↓ついでに当店、中国・西安遣唐の夢もご覧下さい
遣唐の夢

2008年06月03日

●第一次大谷探検隊 朝日新聞 ヤクと大吹雪

第一次大谷探検隊 朝日新聞 ヤクと大吹雪


こんどは道を変えて高さ五一〇〇メートルのカンダル・ダワンをヤクに乗って越えた。

このヤクは羊牛というが、全身非常に毛の深い獣で、高山でなくてはいないそうである。

足はよほど丈夫で、どんな険阻でも倒れるということはない。

ところでこの山はそこぶる峻険で、とても馬で越えることはできない。

荷物も人間も馬からおろして、このヤクに積み、そして馬は裸にして尻尾をもってやって、ようやく坂を下ろすのである。


このカンダル・ダワンは非常な高山であるから、雪の降ることはすさまじいもので、風も非常に強い。

そのため絶えず大吹雪が起こって、それが見渡す限り波状をして積もっている。

これれをたとえれば、あたかも竜が怒って鱗を立てたとは、このようなものであろうかと思われるほどであった。


カンダル・ダワンを越えて数日の後、ザラブサンという川を渡った。

しかしこの川は水が非常に深くて、しかも橋も船もない。

ところが土人が四頭のラクダをもってきてくれたので、人も荷物もそれに乗り、馬は裸にして水中を泳がし、ようやく川を渡ったが、なにしろ四頭のラクダに数頭の馬で列をなして川を越えるのであるから、その状況はなかなか壮観であった。


↓人気ブログランキングに参加しています。
人気blogランキングへ

↓ついでに当店、中国・西安遣唐の夢もご覧下さい
遣唐の夢

2008年05月28日

●第一次大谷探検隊 朝日新聞 猊下と別れる

第一次大谷探検隊 朝日新聞 猊下と別れる


私たちがヤルカンドからタシュクルガンまで八日間で行ったのは、いわば強行旅行ともいうべきもので、なかなか骨が折れた。

そしてタシュクルガンに着いたのは、八日目の夜の一〇時頃で、ここでインドのギルギットと、カシュガル間に往復する重要書類の番をしているインド人にたいへん世話になった。

トルキスタンの重要な事柄は、すべてカシュガルからギルギットまで書面で送り、そこからインド政府へ電報を打つのであって、そのインド人はこの往復書類の事務をあつかう者であった。

さて私たちはここで猊下の一行に別れ、猊下は随員とともにギルギットの方へ向かわれ、私は堀賢雄氏(この人はオクスフォードで地理を専門に研究した人である)と二人で、ふたたびヤルカンドの方へ引き返した。

時に明治三五年の一〇月一四日であった。


↓人気ブログランキングに参加しています。
人気blogランキングへ

↓ついでに当店、中国・西安遣唐の夢もご覧下さい
遣唐の夢

2008年05月25日

●第一次大谷探検隊 朝日新聞 行路難

第一次大谷探検隊 朝日新聞 行路難


ヤルカンドからタシュクルガンへ行くには八日間かかったが、これはたいへん道が悪い。
イギリス人はこれをブラッド・サースト・ロードというぐらいで、荷物なども馬車に載せるとガタガタしてこわれるので馬の背にのせ、または人間が持つのである。

この間に三〇〇〇余メートルの峠があり、それを越すのに四日ほどかかったが、絶頂は空気が希薄なため呼吸が困難で、なかでもカシュガルで雇ったコックは、日頃アヘンを喫うため、三九〇〇メートルの峠に上った時は、マウンテンシックを起こした。

マウンテンシックというのは、あたかも海上で船に酔うのと同じように、山嵐にうたれて酔うのである。

沿道の人民はたいていキルギス人であるが、たいへん悪い人民で、泥棒根性をもっている。

大きい物はとらぬようであるが、チョコチョコいろいろな物を盗むそうである。

しかしわがキャラバンの馬士がそれをよく知っており、夜分も注意してくれたので、われわれは幸いに何もとられなかった。


↓人気ブログランキングに参加しています。
人気blogランキングへ

↓ついでに当店、中国・西安遣唐の夢もご覧下さい
遣唐の夢

2008年05月20日

●第一次大谷探検隊 朝日新聞 ヤルカンドの奇病

第一次大谷探検隊 朝日新聞 ヤルカンドの奇病


ヤルカンドにはカシュガル人、アフガン人、タジク人というような人民がいる。このタジク人というのは、トルキスタン人とペルシア人との合の子である。

このヤルカンドには一種の地方病があって、咽喉の下に二つのにぎりこぶしをつけたような瘤ができるのである。

ほとんど土人の四分の三は、この病にかかっている。

別にそれがために身体になんら影響があるのではない。

その原因はヨーロッパ人がきてみてもわからぬそうであるが、多分この地方は水質が非常に悪いので、その悪い水を飲むからであろうということである。

この水質が悪いということについて、土人は面白い伝説をもっている。

昔マホメット教の聖人がきて、飢えて倒れていた。

そこで救いを乞うたが、土人はこれを救わなかったのでおおいに怒り、将来ヤルカンドの子々孫々まで良い水は飲ませぬと言って、くさったラクダを水中に投じた。

それ以来水質が悪くなったということで、実際はどうかわからないが、この風土病のことについては、マルコ・ポーロもその紀行中に書いている。

この土地の飲料水というのは、池のようなたまり水で、むつき(おむつ)も洗えば泳ぎもするというわけであるから、実に不潔きわまるものである。


↓人気ブログランキングに参加しています。
人気blogランキングへ

↓ついでに当店、中国・西安遣唐の夢もご覧下さい
遣唐の夢