●第一次大谷探検隊 朝日新聞 猊下と別れる
第一次大谷探検隊 朝日新聞 猊下と別れる
私たちがヤルカンドからタシュクルガンまで八日間で行ったのは、いわば強行旅行ともいうべきもので、なかなか骨が折れた。
そしてタシュクルガンに着いたのは、八日目の夜の一〇時頃で、ここでインドのギルギットと、カシュガル間に往復する重要書類の番をしているインド人にたいへん世話になった。
トルキスタンの重要な事柄は、すべてカシュガルからギルギットまで書面で送り、そこからインド政府へ電報を打つのであって、そのインド人はこの往復書類の事務をあつかう者であった。
さて私たちはここで猊下の一行に別れ、猊下は随員とともにギルギットの方へ向かわれ、私は堀賢雄氏(この人はオクスフォードで地理を専門に研究した人である)と二人で、ふたたびヤルカンドの方へ引き返した。
時に明治三五年の一〇月一四日であった。
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