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2008年06月05日

●孔子 論語 學而 15

學而 15


子貢曰く、貧しくして諂ふこと無く、富みて驕ること無きは何如と。

子曰く、可なり。未だ貧しくして楽み、富みて禮を好む者には若かざるなりと。

子貢曰く、詩に云ふ、切するが如く、磋するが如く、磨するが如しとは、其れ斯を之れ謂ふかと。

子曰く、賜や始めて與に詩を言う可きのみ。

諸に往を告げて來を知る者なりと。


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子貢が孔子に向かって「貧しくとも、そのために人にへつらってあわれみを乞うような卑屈もなく、富んでも、おごりたかぶる傲慢さがなかったら、こういう人物はいかがなものでしょうか」と尋ねた。

孔子が答えて「それはまずまず結構だ。しかしまだ、貧乏だけれどもとか、金持ちになったなどと、こだわっている気味がある。

貧乏を忘れて楽しめる人、金持ちになっても礼儀を愛し好む人には及ばないよ」といわれた。

子貢が感嘆して、「詩経の中に、切磋琢磨といって、みがきの上にもみがきをかけよという句がありますが、今先生のお言葉の意味と同じでありましょうか」と問うた。

孔子は、子貢の打てば響くようにひらめきのあるのを喜んで、「賜よ、お前こそ本当に詩のわかる者だ。

過去のことを話すと、すぐ未来のことを推しはかる、聞いたことから、直ちに新しいことを知り得るものだなあ」とほめられた。


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